巻 頭 言

福島県・五色沼 2022年9月撮影

あけましておめでとうございます。

 年始のごあいさつを書くときは、新年がどのような年になるかを想い描く一方、旧年となったつい先日までのことを思い起こします。ご拝察のとおり、この事務所報は年の瀬の遥か以前に出稿して作られます。したがって、旧年となるはずの晦日まではまだ間があり、それまでに何があるか分かりません。その何かが「よいこと」であることを願うばかりです。そして、それに引き続く新年も、その最後の日まで「よいこと」だけがあり、さらにその後の毎日、毎月、毎年が同様であればと思います。

 昨年(2022年)は、いわゆるコロナ禍の中、ロシアがウクライナに侵攻する、元総理大臣が兇弾に倒れる、宗教法人やその関連団体と政治(家)との関わりが問題とされ、大臣が辞職し、宗教法人の解散が検討されるようになる、円安が急速に進み、物価も日々上昇し続ける、北朝鮮がICBMを含むミサイルらしきものを繰り返し発射するといったニュースが続きました。私にとって、これらはいずれも想定外の事態あるいは想定したくもなかった出来事であり、また、「よいこと」でもありませんでした。

 しかし、古くからのロシアあるいはその大統領の野望を知っているという方、政府や日銀の金融政策の問題を理解しているという方は、早晩、ロシアはウクライナを侵攻したはずであるとか、円安や物価高は当然の帰結であると言われるかもしれません。また、例えば、円安で潤っているとされる輸出産業の方は、その関係では円安をよいことと考えているでしょうし、世界中のいわゆる軍需産業関係者の多くにとって、武力紛争や戦争が数多くあり、継続することは歓迎される出来事のようでもあります(軍需関連物資の価格が高騰し、工場をフル稼働しても武器製造が追いつかないと「うれしい悲鳴」を上げているところもあるようです。1950年からの朝鮮戦争の際に米軍の補給基地となった日本は、その特需が戦後の経済再建の契機となりました)。数年続くコロナ禍でさえ、医薬品業界や出資者などにとっては、「よいこと」であったかもしれません。

 世の人の全てに等しく認められる「よいこと」があれば「よい」のですが…

 新年のごあいさつとして余り適当でないことを書いてしまったかもしれませんが、やはり新しい年が、この事務所報をお読みいただく皆様にとりまして、まさに「よい年」となりますようお祈り申し上げます。

弁護士 笠井 勝彦